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萌絵 VS 保呂草

いつ続きが出るんだ! という作家が多い中、コンスタントに作品を発表し続ける森博嗣。おかげで、いいペースで文庫化されています。
もっとも読者としては嬉しいけど、こんなにきっちりした方とはお友達にはなれないだろうな(←向こうがお断りだと思います)。

さて、捩れ屋敷の利鈍は、S&MとVシリーズが交差するお話。一応Vシリーズということで、いつも通り保呂草が後から三人称で書いたという体裁をとっている。でも紅子をはじめ、練無、紫子も出てこない(紅子はちらっと出てくるけど)。
話としては、両シリーズのファンサービスってところ。ルパン対ホームズみたいな感じ(←違います)。元々ドロドロした感情ってものは感じさせない作風ではあるけど、今回のはほんとにゲーム。一応人が死んでるんだけど、かなり放ったらかし。結局動機らしい動機も説明されないし、作中で自ら突っ込んではいるけど、人の死が軽すぎるきらいはあります。

うんと、実はS&MとVシリーズをつなぐ仕掛けがあって、これはそういう意味では重要な作品のはずなんだけど…。
ちょっと前に、偶然その種を読んだしまったのだ。それで純粋に楽しめなかったのが残念。
もっとも、答えを知っていても、作品のどこかに隠されているヒントには気づかなかったのだけど。

では今回の見所は、というと。国枝先生かなあ。国枝先生がこんなに感情を露にして活躍した(国枝先生にしてはってことね)のって初めてじゃあ? 桃子ファンは見逃せません。

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ヤマト風味なガンダム

逆でもいいんだけど、ガンダム風味なヤマト。
仕事が忙しい最中、止められなくなってしまった終戦のローレライ

ところでこの小説どういう分類になるんだろう?
第二次世界大戦が舞台になっているとはいえ戦記ものとはちょっと違うし、SFとも言えそうだし、冒険小説でもあるし、青春小説の面もある。という、ともかくエンターテインメントです。

あ、吉川英治文学新人賞日本冒険小説協会大賞を受賞したらしい。

前述のように舞台は第二次大戦末期、そしてほとんどが潜水艦の中。
実を言うと、歴史上の出来事を舞台にする必然性はあまり感じられない。戦争を知らない世代である作者がこういった手法で描くことは、批判の的になる危険性があると思うのだ。実際のところは、この作品の評はほとんど見てないので知らないのだけど。
でもそれよりも、制約が多くなっているので、話がどうしても自由に広がっていかない。
広がればいいというものではないかもしれないけど、この物語に関しては、何となく無理にまとめてる感があって(特に最後)、残念だなあと思う。

とはいえ、文庫の解説によれば「第二次大戦と潜水艦と女」を出す映画化前提の作品として書き始められたということなので、逆に言えば第二次大戦をうまく利用したとも言えるのだが。

戦争に関しては、やはり解説によれば作者は「東京大空襲等の惨状を生の声で聞いた最後の世代として、次世代の若者への橋渡し」ということを語っているらしい。生の声といっても、68年生まれの作者なら、両親がギリギリ体験しているかどうかといった程度だとは思うが。
それよりも、冒頭に書いたように、戦争体験者が作ったアニメの影響を感じる。
それは、例えばローレライがララァだったり、核発射まであと×時間、とかいう表面的な話ではなく、軍隊とか戦争とかの考え方ってことで。そして、それは作者と同世代である私には、当たり前にも感じられるのだけど。

ただ、この作品は例に挙げたアニメ作品に比べて、希望に満ちている。
作者の性格といってしまえばそれまでだけど、やはり世代もあるのではないか。戦争を真摯に捉えながら、悲壮感よりも人間の強さ、戦後への希望といったものが強く描かれている。

さて、この小説の真骨頂は、やはり「潜水艦アクション」ではないか。
文章だけで、潜水艦の動きを生き生きと伝えられる。作者の力量は大したものだと思う(←何様?>私)。
専門用語も多いのだが、意味がわからなくてもあまり気にならない。

もう一つの特徴は、文庫で全四巻ととても長い。これは大勢の登場人物それぞれについて、とても丁寧に描写しているのも一因。賛否両論あると思うけど、私は面白かった。あの時代あの立場で悲惨な背景がないわけがない土谷中佐について何も書いてない、と一瞬憤りそうになったけど、ちゃんとあったし。
ただそのために、視点がコロコロ変わるのは、ちょっと読みにくい。

それと。別にガンダムやヤマトを知らなくても楽しめます。念のため。

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疲れたときにお薦め!

疲れた社会人にビックリマーク付きでお薦めしたい夏のロケット
川端裕人のフィクションデビュー作である。
と偉そうに書いたけど、この作品で初めてこの作者を知ったんだけど。

夏のロケットは、社会人になって数年経った高校時代の天文部ロケット班のメンバー五人が集まり、再びロケットの打ち上げに挑戦するという青春(一般的な青春に比べるとちょっと薹が立った)小説。とはいえ実はこのロケット、燃料を素人が扱うのは違法であるわけで、おおっぴらには作れない。それに過激派のミサイル作成が絡んだライトミステリ仕立てになっている。

この五人というのが半端ではなく、理論派の天才、物作りの天才、押しの強い交渉事の天才、ミュージシャンとして成功する金儲けの天才、が揃う。平凡な新聞記者である主人公「僕」は、文章の才能を買われてメンバー入りした広報係だが、とかく取り残され勝ち。もっとも、普通の人がいなければ、読者もついていけないだろうけど。

ともかく、これだけのメンバーが揃えば、金も設計図も作る人も場所や材料などの手配をする人もおり、「本物のロケット=宇宙へ行けるロケット」作りが進むのだ。
社会人として、それなりの生活を送っていた人も、挫折をしていた人も、宇宙少年だった高校時代の情熱を取り戻して、ひたすらロケット作りに励む。

ストーリーも爽快なのだが、ロケット作成などという場合、とかく専門的になりがち。しかしそこは、元日本テレビの科学技術庁担当担当記者という経歴を持つ作者の面目躍如たるところ。説明を省くわけでもなく、物語の中で無理なくわかりやすく描いてくれる。

さらに、一連の出来事がとりあえずの結末を迎えても、メンバーの誰一人立ち止まらない。
まさに永遠の少年のごとく、次なる夢へ突き進む。少年と書いたけれど、夢を見ているだけではなく、現実と折り合いながら、社会人としての経験も活かしながら自分達の力でロケット打ち上げの費用や人脈を作っていくわけだ。夢見る力を失わず、現実でも力も付けているというのが、勇気づけられるではないか。

私にとっては、仕事に疲れた時の一冊。
ただ、宇宙や科学に興味がない人はどうだろう? 多分楽しめるとは思うけど…。

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選手会長に刺激された!?

ちょっと前に読んだ本なのだけど、彼の有名な戦う選手会長が自身のブログで同じ著者の本について触れていたのに刺激(!?)を受けて、今日はこれ最悪

ちなみに選手会長が薦めている空中ブランコは昨年の直木賞受賞作。さらに作者の奥田英朗は、確か雑誌の企画でMLB探訪かなんかやっていたので、野球好きだと思われます。

最悪は、騒音に抗議する近隣住民や、突然貸付を断る銀行や、責任感のない引きこもりの従業員などに翻弄される町工場の社長、上司にセクハラを受けている銀行OL、ヤクザに追いかけられているチンピラ、の三者がひょんなことから銀行強盗をする羽目になる犯罪小説。
犯罪小説といっても、ほとんど被害者の主人公達が「最悪」の状況に陥り、そこから抜け出そうともがいてるうちに、いつの間にか…。ってパターン。

この、どんどん追い込まれて深みに嵌っていく過程が、うまいのだ。読んでる方までイライラするし、最悪な気分になっていくし、何らかの解決をするまで目が離せなくなる。

しかもこの三人、三者ともかなり真っ当な精神の持ち主。一緒に行動している時の描写は、結構心温まるものだったりもする。

実はこれ、最初はドラマで見たのです。元々はBS-iの企画ドラマだったと思うのだけど、なぜか突然ジュリーこと沢田研二にはまった私。ケーブルテレビで再放送されていたのを見た。
文庫の解説ではドラマの方は酷評されている。確かに小説に比べると、かなり御伽噺っぽいのだけど…。
私は、それはそれで楽しめたんだけどね。別にジュリーが出てるからではなく。

好きずきだと思います。

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あらすじを信じると裏切られる

柔らかな頬 (上)および柔らかな頬 (下)
ちょっと前だけど、文庫化されたので読んでみた。

ところで、桐野夏生
この人、読後感の悪さでは当代随一ではないかと思う。
というのは言い過ぎにしても、“売れている”エンターテインメント系作家の中ではかなりの上位にくるはず。

まあ、読後感云々よりも内容で読む人ももちろん多いだろうけど、少なくともエンタメ作品(まあこの分類も適当だけど)であれば、私は読後感爽やかな方が好きだ。一般的にもそうだと思う。では、何故私は彼女の本を読み、彼女の本は売れているのか?
なんででしょう?
と書いていると桐野夏生論になって、いつまでもこの作品に触れられないので、強引にあらすじ。
ちなみにこれ、直木賞受賞作ですね。

ヒロインのカスミは、夫の友人で不倫相手の石山が家族で滞在する別荘に、やはり家族で招かれる。
そこで、お互いの家族の目を盗んで二人は逢い引きを繰り返し、そんな最中、カスミの娘、有香が失踪する。
四年が経ち、皆が有香の生存を諦める中、カスミは一人娘を捜し続け、そんな彼女に余命幾ばくもない元刑事が助けの手を差し伸べる。

こう書くと、ミステリ仕立ての人情話みたい。でも桐野作品で、もちろんそんなわけはなく、それぞれの登場人物はそれぞれの欲望と打算のみで動いている。
そう、桐野作品って、共感できたり感情移入できる登場人物って、まず出てこない。
安手の小説なら、「そんなやついねーよ」という“いい人”が出てくる。良く出来た作品なら、適度な欠点を描いて現実味を出しながら、でも根はいい人が主役を張る。で、桐野作品だと「そんなやついねーよ」という“悪い人”がデフォルメされて出ている。人間の良い部分を排除することで、誰もが持っている醜い面が白日の下に晒される。それは誰もが身に覚えのあることだから、現実感を伴って読者に迫ってくる。
でもね。確かに人間は良い面だけではないかもしれないけど、醜い面だけでもないはず。というより、そう信じないとやってらんないと思う。
なのに、それを徹底的に否定するこの作品。
特に「娘を捜す母親」という設定だけに、そのギャップが激しく、何とも救いようのない気持ちにさせられる。

お勧めはしないし、登場人物を肯定もしたくはない。
けれど読み始めれば引き込まれる。そんな小説です。

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私が悪うございました

ハリー・ポッターシリーズは、誰でも知っている大ベストセラー。
ファンタジー、しかも児童書でこれだけのヒットって凄い。

でも、これだけ売れると生来の天の邪鬼のワタクシ、読むもんかって気になっちゃうのです。
それに、本は結構読んでるし、特にファンタジーについては一家言持っているという自負もあり…。
何となく避けておりました。

この作品、本だけでなく、映画もヒット。
第一作ハリー・ポッターと賢者の石を、テレビで見てしまった。
面白そうです。読みたいです。でも今更読むのも癪だし、それにあの分厚い本を何冊も買うのも…。
せめて文庫になったら…。
なんて、思い続けていたのです。

で昨年、携帯版ハリー・ポッターと賢者の石が出たのをきっかけに、今年のお正月に一気に読んでしまった。携帯版が出ているのは三巻までなんだけど、結局、四巻、五巻もハードカバーを買っちまいました。

いやほんと。私が悪うございました。
変な意地を張らずに、とっとと読めばよかった。

いかんせん、映像を見てしまった後。だもんで、どうしてもイメージが映画のものになってしまうのだ。
だって、ロンは背が高くてひょろっとしてるはずなのに、映画では下手するとハリーより小柄。ハグリッドだって、先に本を読んでたら、もっと人間離れした大男をイメージできたかもしれないし、9と3/4番線とか組み分け帽とか、とにかく、想像を膨らませるには格好のネタが山のように用意されている。それなのに…。クィディッチだって、一体どんな競技だろうと、考える楽しみがあったのに…。
とまあ、そんな後悔はあるものの、映画だって良かったし、本は予想通り(←負け惜しみ?)面白かった。

さてこの第一巻、ハリーが初めて自分の正体を知り、それまでの惨めな境遇から、一躍、英雄扱いを受ける「魔法」の世界へ飛び込む。この魔法世界の設定は、ほんとに魅力的。写真が動いたり、ふくろうが手紙を運んだり、百味ビーンズなんていうおかしな食べ物があったりと、細かい部分が凝っているし、「妖精の呪文」だの「魔法薬学」だの学校での講義の名前や内容もいちいち興味深い。そしてシリーズを通して言えることだけれど、謎解きの要素があって、上質のミステリになっている。
魔法界が舞台だからといって、全てそれで方が付くというものではなく、知恵と勇気で難題を解決していくのだ。
特に一巻では、ハリー、ロン、ハーマイオニーの主役三人それぞれの得意分野を出し合って、強敵に立ち向かうシーンがある。三人それぞれの特徴が無理なく盛り込まれていて、今後シリーズを続けて読むうえでも、これが重要なんじゃないかと思う。
というわけで、すっかりはまってしまったのでした。

J・K・ローリング: ハリー・ポッターと賢者の石
J・K・ローリング: ハリー・ポッターと賢者の石

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忘れ得ぬ本

子供の頃、テレビや漫画はあまり見せてもらえなかった。
しかし幸か不幸か家の裏に図書館があり、読書だけはし放題。
図書館中の本を読みつくすような勢いで通っていた。

そんな中で長い間忘れられなかった本。
それが光車よ、まわれ!だ。
分類としては、異界ファンタジーになるのだと思う。
舞台は昭和の日本の街。主人公は小学生。
発行が73年なので、今読むとさすがに古臭いが、小学生のときにはほぼリアルタイムで読んだはずだ。
従って、普通の小学生が普通の街で突然異界の化け物に襲われて、知恵を絞って戦うという物語は非常に恐ろしくて面白く、強烈な印象が残っていた。
ただ、一度読んだきり、この本には長い間巡り合えなかった。
図書館では、タイミングが悪かったらしく、二度と借りられなかったし、大人になってから書店で探したときも見つけられなかった。もっとも、タイトルしか覚えておらず、作者名も出版社もわからなかったので、探しようがなかったのだが。実際には、筑摩書房から73年初版、83年に新装版が出て、87年には文庫にも入っているというから、かなり息の長い本だったようだ。けれどインターネットが普及し、ようやくこれらの情報を得たときにはすでに品切れになっており、入手することができなかった。

そこで、復刊ドットコムでリクエストしようと検索すると、その時点で確か200近い投票があり、驚いてしまった。そして、約3年経った昨年、ついに復刊された。復刊決定のメールを受け取ったときは、本当に小躍りするくらい嬉しかった。

ただ、それほどの期待をしていただけに、単なる思い込みで、そんなに面白くなかったらどうしようという、不安もあったのだが……。
全く杞憂でした。作者の天沢退二郎氏は、これが初めての長編ということで、確かに随所に粗さはある。
登場人物の呼び名と本名との関連がわかりにくかったり、伏線が張りっぱなしで放置されていたり…。
でも、そんな些細なことはほとんど気にならないくらい、物語に勢いがあるし面白い。ほとんど小学生である登場人物それぞれが魅力的だし、何よりこの話のキーとなる「光車」の設定が凝っている。

元々は小学生向けだとは思うが、大人が読んでも十分楽しめるはずだ。

ところで、天沢氏の他の児童向けの著作も復刊されており、どれも面白そうなのだが……。
この光車よ、まわれ!もそうだが、できれば文庫で復刊してほしかったなあ。価格はまあ仕方ないとして、ハードカバーは狭いマンションではかさばってしょうがない。
というわけで、読みたいんだけどと思いつつ、他にはまだ手を出していない。

天沢 退二郎: 光車よ、まわれ!
天沢 退二郎: 光車よ、まわれ!

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いい加減な記憶

いまやベストセラー作家、東野圭吾のパラレルワールド・ラブストーリー
これ、ノベルスで出たときに一回読んだんだけど…。

今回読み返したのは、素子の読書あらかるとを読んで、「ええっー」とびっくりしたから。
というのは、この本の印象が「東野圭吾らしくないあまあまなラブストリー」。ミステリという印象は全くなかったのだけど、上記の本での新井素子の紹介によれば、「記憶混乱ミステリー」。これは新井素子がここで作った分類だが、自分が持っている記憶は果たして本物の記憶なのか?って内容で、例えば岡嶋二人のクラインの壷や宮部みゆきのレベル7なんかが、それに類するものとされている。

ところが私はこの二冊は、結構よく覚えている(つもり)。
どちらも好きだったし、特に『クライン~』」は読後感がかなり怖くて強烈な印象が残っている。

これらと同じ系統? そうだっけ?
というんで、読んだんだけど。

いやー、何で私はラブストリーだと思ったんでしょう?
もちろんラブストーリー的要素はあるんだけど、どちらかといえばミステリだし、確かに『クライン~』と同じ系統だ。
そしてさらに不思議なのは、冒頭の山手線と京浜東北線が接近して、男女が見つめ合うというエピソードは完璧に覚えていたということ。ところが私の頭の中では、何故かここから全く違うストーリーになっていた。

ま、それはともかく。
ふとしたことで、自分の記憶が改編されているのでは、と疑った主人公が真実を追い求めるお話。これに親友との三角関係が絡む。過去と現在と思われるストーリーが交互に語られるのだが、果たしてこの2つの話は繋がるのか(タイトルが「パラレルワールド」だし)、という楽しみ方もできる。
ただ、個人的には主人公がどうも好きになれない。
それで、勝手に話を改編して都合のいいように覚えていたのかなあという気もするけど。

でもそんな好き嫌いはおいといて、おもしろいです。

東野 圭吾: パラレルワールド・ラブストーリー
東野 圭吾: パラレルワールド・ラブストーリー

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